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東京地方裁判所 昭和33年(レ)66号 判決 1958年10月06日

控訴人 高橋俊雄

被控訴人 池田正晴

主文

1、原判決を取り消す。

2、被控訴人は、控訴人に対し、別紙物件目録記載の建物のうち二階六坪を明け渡さねばならない。

3、被控訴人は控訴人に対し昭和三〇年八月一日から昭和三〇年一一月九日まで月金一、一〇〇円の割合の金員、同月一〇日から右明渡済に至るまで月金二、〇〇〇円の割合の金員を支払わねばならない。

4、控訴人のその余の請求を棄却する。

5、訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一、双方の申立

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し別紙物件目録記載の建物のうち二階六坪を明け渡し、昭和三〇年八月一第以降右明渡済に至る迄月金二、〇〇〇円の割合の金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、

被控訴人は、「控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第二、控訴人の主張事実

一、訴外日和モトは、予てその所有に係る別紙物件目録記載の家屋(以下本件家屋という。)を被控訴人に賃貸していた。

二、控訴人は、昭和二九年五月二一日、被控訴人から、本件家屋の階下九坪の店舗を、店舗として使用する目的で、賃料月金八、一〇〇円毎月末日払、期間一〇年の約定で転借した。

三、控訴人は、昭和三〇年八月二三日、訴外日和モトから本件家屋を買い受けて、その所有権を取得し、被控訴人に対する賃貸人たる地位を承継するとともに、右訴外人より、同人と被控訴人との間においてすでに発生した昭和三〇年七月以降月金一、一〇〇円の割合の賃料債権を譲り受け、同日、被控訴人方において、訴外日和モトの代理人田代弘と控訴人とは、被控訴人に対し、本件家屋の売買、賃貸人たる地位の承継および右賃料債権譲渡の各事実を告げ、被控訴人は、これを承認した。

四、控訴人は被控訴人に対しつぎのとおり賃料増額請求をなし、かつその支払を催告した。すなわち、まず、昭和三〇年八月二六日附二七日到達の内容証明郵便を以て、本件家屋の賃料を月金一、一〇〇円から月金九、二〇〇円に(控訴人の昭和三三年七月二八日附準備書面第二葉の表示行より二行目に金九、一〇〇円とあるのは金九、二〇〇円の誤記と認める)増額し、かつ被控訴人の控訴人に対する転貸借賃料債権月金八、一〇〇円と対当額で相殺する旨の意思表示をなし、差額月金一、一〇〇円の割合の昭和三〇年八月以降の賃料を控訴人方に持参支払うべきことを催告した。つぎに、昭和三〇年一一月八日附九日到達の内容証明郵便を以て、本件家屋の九月からの賃料を月金一〇、一〇〇円に増額し、被控訴人に対する転貸借賃料債権金八、一〇〇円と対当額で相殺する旨の意思表示をなし、差額金二、〇〇〇円の割合の昭和三〇年九月以降の賃料を控訴人方に持参支払うことを催告した。

右の各増額された賃料と控訴人の支払うべき転貸借賃料との差額は、結局、被控訴人の占有居住する二階六坪の間代に該当することになるが、本件家屋の賃料を右のように月金一〇、一〇〇円とし、転貸借賃料金八、一〇〇円を差し引いた金二、〇〇〇円を二階六坪の間代とすることは、近隣の賃料に比して不当ではない。けだし、本件家屋と同一状況の隣家の店舗も店舗部分約四坪丈で賃料月金一〇、〇〇〇円だからである。

五、控訴人は、昭和三一年一〇月六日附翌七日到達の内容証明郵便を以て、被控訴人に対し、昭和三〇年八月から昭和三一年九月まで月金二、〇〇〇円の割合の賃料合計金二八、〇〇〇円を、右内容証明郵便到達後五日以内に支払うべきことを催告するとともに、右期間内に支払がなければ本件家屋の賃貸借契約を解除する旨条件附契約解除の意思表示をなし、あわせて、控訴人方において住み込み営業をなす正当の事由ある旨を告げて解約の申入をした。

尤も、賃料増額請求がその意思表示到達のときからのみ効力を生じ昭和三〇年八月分に遡らないとしても、右催告が全部にわたつて無効となるものではなく、増額の効力を生じた後の賃料の催告として有効であるところ、被控訴人は右催告期間を徒過したので、本件家屋の賃貸借契約は昭和三一年一〇月一二日限りで解除となり終了した。

かりに、右賃料不払による契約解除が理由ないとしても、右内容証明郵便を以てあわせてなした解約申入により、その到達后六ケ月を経過した昭和三二年四月七日解約により終了した。けだし、控訴人は本件家屋の店舗部分を転借して以来、茶、乾物その他の食料品の販売業を営んでいるが、商品の性質上細心の配慮を要するに拘らず、控訴人および従業員は宿泊場所がないので右商品の充全の保管をなすことができないのに比し、被控訴人は小家族であるから誠意をもつてすれば他に引越先を求めて移転することは容易だからである。

かりに、右解約申入について正当の事由がないとしても、本件家屋が被控訴人は地代家賃統制令の適用を受けるものと主張して統制額の範囲内である月一、一〇〇円の家賃を固執しながら、控訴人に対しては転貸賃料として右統制額を遙に超える月八、一〇〇円を請求し、著しく賃借人として信義に反する行為があるので本訴で本件家屋の賃貸借契約を解除する。

六、被控訴人は、右賃貸借契約終了の後も、なお、何等の権原なくして本件家屋の二階六坪に居住してこれを不法占拠し、因つて、控訴人は賃料月金二、〇〇〇円相当の損害を蒙つている。

七、よつて、控訴人は、被控訴人に対し、本件家屋のうち二階六坪の明渡を求めるとともに、昭和三〇年八月一日から右賃貸借契約終了の日まで月金二、〇〇〇円の割合の賃料、その翌日から右明渡済にいたるまで月金二、〇〇〇円の割合の損害金の各支払を求める。

八、被控訴人が抗弁として主張する事実中以下控訴人主張の事実に反する部分を否認する。

九、被控訴人は、本件家屋に何等の造作ないし場所的利益を有するものではなく、控訴人は、本件家屋の完全な所有者となつたものである。すなわち、被控訴人が本件家屋に施した造作は、わずかに、金一〇、〇〇〇円前後の価値しかない電気瓦斯水道の各施設のみで、しかも本件家屋に附加して一体となり、独立して被控訴人の所有権の目的とならず、そうでなくても、被控訴人が訴外日和モトから本件家屋を公定賃料で賃借していた関係上、被控訴人が本件家屋に施した修理とともに、当然被控訴人自ら負担すべきもので、その費用の償還を請求できる筋合のものではない。しかも、控訴人は、昭和二九年五月、被控訴人より本件家屋の階下店舗部分を転借するに際し、権利金三〇〇、〇〇〇円を支払つて、被控訴人の施したわずかの造作と場所的利益とを譲り受けたのであるから、被控訴人は、本件家屋の所有権と独立して別段に何等の造作所有権も場所的利益も保有しなくなつたのである。されば、控訴人は、昭和三〇年八月二三日、訴外日和モトより、本件家屋の完全な所有権を承継取得し、同年一〇月一〇日その所有権移転登記を了えたのである。

一〇、本件家屋は、控訴人の賃料増額請求の当時、すでに、地代家賃統制令の適用を除外されていた。すなわち、被控訴人は、昭和二九年五月二一日、控訴人に対し、本件家屋の階下九坪の店舗部分を転貸し、よつて、当時の地代家賃統制令施行規則第一一条第二号所定の「その住宅の借主が当該事業主であること」をやめたので、当時の地代家賃統制令第二三条第二項但書所定の「併用住宅」としての要件を欠くことになり、同令の適用を受けないものとなつたのである。

一一、控訴人と被控訴人との間の前記転貸借契約については控訴人に転借賃料の不払その他何等の義務違反がない。すなわち、

(1)  控訴人は、右転貸借契約において、転貸借賃料を三ケ月分以上怠つたときは当然解除となる旨を約したことはなく、たとえ、右転貸借契約書中に、右趣旨の条項があつたとしても、同条項は所謂「例文」であるにすぎず、何等の効力を有しない。

(2)  かりに、右のとおりの条項の約定があつたとしても、控訴人は、被控訴人に対し三ケ月分の転貸借賃料の支払を怠つたことはない。すなわち、控訴人は、昭和三〇年八月二三日訴外日和モトの被控訴人に対する賃貸人たる地位を承継したうえ、前記のとおり、被控訴人に対し、昭和三〇年八月二六日附二七日到達の内容証明郵便を以て、賃料増額請求をするとともに、転貸借賃料と対等額で相殺する旨の意思表示をしたので、控訴人が被控訴人に対して支払うべき転貸借賃料は、同年八月分以降、毎月控訴人が被控訴人より収受すべき賃料の一部と相殺によつて消滅し、現実に被控訴人に支払はれたのと同一の結果になつたのである。かりに、控訴人が右内容証明郵便を以てした賃料増額請求が有効でなく、前記昭和三〇年一一月八日附九日到達の内容証明郵便による賃料増額請求によつて同年一一月分からのみ賃料増額の効果があるにすぎないとすれば、控訴人は、被控訴人に対し昭和三〇年八月分から一〇月分まで月金八、一〇〇円の割合の転貸借賃料を支払うべきであるが、控訴人は被控訴人より収受すべく月金一、一〇〇円の賃料債権を有していたので、控訴人としては対当額で相殺したうえ、結局月金七、〇〇〇円の割合の金員を支払えば足りたことになり、この三ケ月分金二一、〇〇〇円には、控訴人が転貸借契約に際して被控訴人に差し入れた敷金二五、〇〇〇円のうちから当然に充当されたものであるから、右三ケ月分の転貸借賃料の延滞は無いことになる。

(3)  なお、控訴人は、被控訴人に対し、右各内容証明郵便を以て、控訴人が転貸借契約に際して差し入れた敷金二五、〇〇〇円の返還を請求したが、その趣旨は、控訴人の賃貸人たる地位の取得と賃料増額請求の結果、相殺によつて、被控訴人に対する転貸借賃料の現実の支払義務が消滅し、事実上、転貸借契約が終了したと同様の結果になつたので、敷金の返還を請求したにすぎず、転貸借契約の法律上の終了を前提としたものではない。

第三、被控訴人の主張事実

一、控訴人の主張事実中、本件家屋がもと訴外日和モトの所有であつて被控訴人が予てからこれを賃借していたこと、被控訴人が昭和二九年五月控訴人に対し本件家屋の階下の店舗部分を賃料月八、一〇〇円毎月末日支払、期間一〇年の約定で転貸したことは、いずれも認めるが、その余は否認する。しかして、被控訴人と控訴人との転貸借契約の日は昭和二九年五月一五日であつて転貸物件は本件家屋の階下九坪のうち店舗七坪に限られ、期間は同年五月二二日から昭和三九年五月二一日までとする約定であつた。

二、控訴人が、かりに、訴外日和モトから本件家屋を買い受けたとしても、大部分の造作を除いた残骸の所有権を取得したに止る。すなわち、被控訴人は、昭和九年頃、当時本件家屋を所有者日和モトから賃借していた訴外吉賀権太郎から、本件家屋の階下店舗部分を転借していたが、昭和一六年頃、訴外日和モトの承諾を得て、訴外吉賀権太郎より右店舗部分の造作を金二、二〇〇円という高価な代償を支払つて買い取つたので、右店舗部分の大部分を占める造作は被控訴人の所有に帰し、訴外日和モトは、本件家屋から右造作を除いた残骸の所有者にすぎないものとなつた。しかして、被控訴人の所有となつた右造作は、その後、被控訴人の施設した電気、瓦斯、水道等の造作および被控訴人の築いた場所的利益とともに、現在の物価水準に照して金一、〇〇〇、〇〇〇円相当となつているのである。右のような事情であつたからこそ、控訴人は、昭和二九年五月、被控訴人から本件家屋の店舗部分を転借する際、被控訴人所有の右造作および場所的利益を金九〇〇、〇〇〇円で買い取ることを予約し、たまたま控訴人が右買取資金を持たなかつたために、賃料月八、一〇〇円で借りることになつたのであり、また、控訴人が訴外日和モトから買い受けたのは本件家屋の残骸であつたからこそ、金三五〇、〇〇〇円という廉価で買うことができたのである。されば、控訴人は訴外日和モトから本件家屋を買い受けたと主張するも、被控訴人所有の造作ならびに場所的利益はこれを取得するに由なく、本件家屋の残骸の所有権を取得したにすぎないので、本件家屋の所有者ということはできない。

三、控訴人が、かりに、被控訴人に対する賃貸人たる地位を承継したとしても、その賃料増額請求は、地代家賃統制令に定める賃料額を遙に超過した額に増額するもので、同統制令に違反し無効であり、したがつて、賃料不払を理由とする契約解除は失当である。

四、控訴人は、被控訴人に対し、明渡を求める正当の事由を有しないので、解約申入は失当である。けだし、控訴人は文京区本郷において別に食料品店を盛大に営んでいるので、本件家屋の階下のみで営業して充分であるに反し、被控訴人は、本件家屋における住居を失えば、一家五人自殺せざるをえない境地に追い込まれるからである。

五、被控訴人には賃借人としての信義に違反することはない。信義に反するのはむしろ控訴人である。けだし、被控訴人は、昭和二九年五月、控訴人に対し、本件家屋の階下九坪のうち店舗七坪を転貸するに際し、控訴人が月金八、一〇〇円の割合の賃料を三ケ月分以上怠つたときは、右転貸借契約は当然解除となつて、右転貸借物件を明渡すべき旨を約したものであるが、控訴人は、昭和三〇年八月分から同年一〇月分までの賃料三ケ月分の支払を怠つたので、右転貸借契約は、同年一〇月末日限りで、当然解除となり終了したのに、控訴人は未だに右転貸借店舗を明け渡さないで、被控訴人の賃借人でありかつ、転貸人である権利の行使を妨げいるからである。

したがつて、もとより控訴人に対し以後の賃料を支払う義務もなくその支払の催告による賃貸借契約解除も効力を生じない。

六、かりに、被控訴人が、控訴人に対し、本件家屋を明け渡すべきであるとすれば、控訴人の転借権もその根拠を失つて消滅し、控訴人は被控訴人に対しその転借部分を明け渡すべきことになるのみならず、被控訴人の所有にかかる造作および場所的利益を時価金一、〇〇〇、〇〇〇円で買い取るべきであり、控訴人が被控訴人に対し権利金三〇〇、〇〇〇円を支払済であるとすれば、これを差し引いた金七〇〇、〇〇〇円を支払うべきである。

第四、証拠関係

控訴代理人は、甲第一号証から第四号証まで、第五、第六号証の各一、二、第七、第八号証、第九号証の一ないし三を提出し、右第九号証の一ないし三は本件家屋の階下店舗部分の昭和三三年七月一三日控訴人撮影にかかる写真であると述べ、原審証人印南校三朗、原審および当審証人田代弘、当審証人石倉茂春の各証言ならびに控訴人本人の原審および当審(第一、二回)における各本人尋問の結果を援用し、乙第二、第三号証および第八号証の各成立を認めその余の乙号各証の成立は知らないと述べた。

被控訴人は、乙第一号証から第八号証までを提出し、当審における被控訴人本人尋問の結果を援用し、甲第一号証から第三号証までの各成立を否認し、第四号証の成立を認め、第五、第六号証の各一のうち郵便官署の日附印の各成立は認めるがその余の部分は不知、第五、第六号証の各二、第七号証の各成立は認める、第八号証は不知、第九号証の一ないし三が控訴人主張のとおりの写真であることは認めると述べた。

理由

一、本件家屋が、もと訴外日和モトの所有であつて、被控訴人が予てからこれを賃借していたこと、被控訴人が昭和二九年五月控訴人に対し本件家屋の階下の店舗部分を賃料月金八、一〇〇円毎月末日支払期間一〇年の約定で転貸したことは、いずれも当事者間に争がない。

二、被控訴人は、控訴人の本件家屋の所有権取得、賃貸人たる地位の承継および賃料債権の譲受を争うので、これらの点について審理する。

(1)  証人田代弘の原審および当審における証言によつて真正に成立したと認められる甲第三、第八号証、成立に争のない同第四、第七号証、被控訴人本人尋問の結果によつて真正に成立したと認められる乙第四号証ないし同第七号証に、証人田代弘の原審および当審における証言、原審および当審(第一、二回)における控訴人本人尋問の結果および当審における被控訴人本人尋問の結果を綜合すると、次の各事実が認められる。

訴外日和モトは、予てからその所有にかかる本件家屋を訴外吉賀権太郎に賃貸していたが、被控訴人は、昭和八年頃、右訴外人から本件家屋の一部を転借して茶商を始め、さらに、昭和一六年頃におよんで、右訴外人から本件家屋の造作畳建具一式を代金二、二〇〇円で買い受け、その頃より、本件家屋を賃料月金二二円五〇銭で訴外日和モトから直接借り受け、爾来、被控訴人において電気瓦斯水道の造作を施し修理を加えて本件家屋で右営業を続け、右賃料は数次の改訂を経て昭和三〇年頃には月金一、一〇〇円となつた。

この間において、被控訴人は、昭和二九年五月二一日、控訴人に対し、本件家屋の階下九坪のうち店舗部分七坪とその用に供される奥の一畳とを店舗として使用させる目的で、賃料月金八、一〇〇円毎月末払、期間同年五月二二日から昭和三九年五月二一日まで一〇ケ年、階下のその余の部分は共同使用とすること等の約定で転貸し、なおその際、控訴人が右転貸借賃料の支払を三ケ月分以上怠つたときは転貸借契約が当然解除となる旨を約し、その頃、控訴人は、被控訴人に対し、敷金二五、〇〇〇円権利金三〇〇、〇〇〇円を支払つて右店舗部分で「あさひや」との屋号で乾物食料品販売業をはじめ、被控訴人は本件家屋の二階六坪に居住することになつた。而して、右権利金は、被控訴人が予て訴外吉賀権太郎より譲り受けあるいは被控訴人自ら施設した造作のうち前記転貸部分に関する一切を控訴人に対し譲り渡すについての対価たる意味をも含んでいた。

訴外日和モトは、かねてから本件家屋の差配をさせていた親族の訴外田代弘を代理人として、被控訴人に本件家屋買取方をすすめていたがこれに応ずる気配がなかつたので昭和三〇年八月頃控訴人に対し、本件家屋を代金三五〇、〇〇〇円で売り渡すことを約し、あわせて、被控訴人に対する賃貸人たる地位を譲渡するとともに、それまでに訴外日和モトと被控訴人との間に発生した賃料債権のうち同年七月分以降の分を控訴人に譲渡した。(当審証人田代弘の証言中この部分に反する点は前記甲第四、第八号証に照し記憶違いと思われる。)

而して、訴外田代弘と控訴人とは、その頃、本件家屋の二階に被控訴人を訪れ、控訴人が新たに家主となりかつ賃貸人となつたことならびに昭和三〇年七月分以降月金一、一〇〇円の割合の賃料を控訴人に支払うべき旨を告げたところ、被控訴人はそのこと自体には格別の異議を述べずに承諾した。そこで、控訴人は、昭和三〇年一〇月一〇日、本件家屋の所有権移転登記を了えた。以上の各事実が認められる。

(2)  もつとも、控訴人は、右転貸借契約に当つて転貸借賃料三ケ月分の支払懈怠により当然解除となる旨の前記合意が為されたことはなく、契約書中の右趣旨の条項は例文にすぎないと主張するが、これに副う控訴人本人の供述部分は信用できない。

また、被控訴人は、控訴人が本件家屋の所有者たることを争い、或は控訴人が同家屋残骸の所有者となつたにすぎず、本件家屋の残骸以外の部分については被控訴人自身の所有権があるもののようにも主張し、さらに控訴人の同家屋賃貸人たることを争うが、被控訴人が訴外吉賀権太郎より譲り受けた畳建具等の造作および被控訴人自ら設けた電気瓦斯水道等の施設は、本件家屋所有権とは関係のないものであつて、綜合していわゆる店舗の賃借権として店舗賃借人間で譲渡の対象となり得ても家屋所有権の帰属に影響のないものであることは前出乙第六、第七号証および被控訴人本人尋問の結果によつても容易に知り得られ、前認定のように、被控訴人は、昭和三〇年八日頃訴外田代弘および控訴人より本件家屋の所有権移転および賃貸人の立替、延滞家賃の一部譲渡の事実を告げられて異議を述べなかつたものである以上、控訴人は、そのときから、被控訴人に対し登記なくしても、本件家屋の所有権取得をもつて対抗し、かつ賃貸人たる地位を取得するに至つたものと解されるので、被控訴人の右主張も失当である。

(3)  しからば、控訴人は、昭和三〇年八月、訴外日和モトから、本件家屋の所有権とともに被控訴人に対する賃貸人たる地位を譲り受け、かつ、同年七月から右承継の日まで月金一、一〇〇円の割合の賃料債権を譲り受け、したがつて、被控訴人は、賃貸人たる控訴人に対し昭和三〇年七月以降の月金一、一〇〇円の割合の賃料債務を負うに至つたものというべきである。

三、つぎに、控訴人の被控訴人に対する賃料増額請求の成否について審理する。

(1)  被控訴人は、本件家屋について地代家賃統制令の適用がある旨主張するが、被控訴人が訴外日和モトから本件家屋を賃借中、昭和二九年五月二一日、控訴人に対して本件家屋の階下の店舗部分を転貸したことは前記のとおりで、当審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人は右店舗部分の転貸によつて本件家屋における事業主たることをやめたことが認められるので、当時の地代家賃統制令第二三条第二項但書所定の「併用住宅」としての要件を欠くに至つたものというべく、したがつて、少くとも、右転貸借のとき以降は同令の適用される余地がなくなつたと解されるから、被控訴人の右主張は失当である。

(2)  控訴人は、昭和三〇年八月二六日附二七日到達の内容証明郵便を以て、賃料増額請求をした旨主張するが、成立に争のない甲第五号証の二、当審における控訴人本人尋問の結果(第一回)によつて全部真正に成立したと認められる甲第一号証同第五号証の一、によれば、控訴人は右八月二六日附内容証明郵便を以て被控訴人に対し金額を明示しないで単に同年八月分からの賃料を催告し転貸借契約の敷金二五、〇〇〇円の返還を請求し、次で同年十一月八日、同年八月分までは従来どおりの家賃の請求を、同年九月以降は被控訴人使用の本件家屋二階部分の間代のみの請求をしていることが認められるので、少くとも右八月二六日附の内容証明郵便で賃料増額の請求をしたものとは認め難い。

しかし右甲第五号証の一、二ならびに当審における控訴人本人尋問の結果(第一回)を綜合すれば、控訴人は本件家屋について被控訴人に対する賃貸人たる地位を取得した後しばしば被控訴人と口頭で賃料、転貸借関係の解消、転貸借に関して控訴人が被控訴人に差し入れた前記敷金二五、〇〇〇円の返還等、賃貸借と賃貸借関係の調整について交渉したが、円満な解決が得られず、昭和三〇年一一月八日内容証明郵便で、被控訴人使用の本件家屋二階部分六坪についての間代を同年九月分以降月二、〇〇〇円とし従来の転貸借に基く階下店舗部分の転貸借は既に解除されたものとしてその分の前記敷金二五、〇〇〇円を返還すべきことを一方的に通告し、同月九日同郵便が被控訴人に到達したことが認められるので、控訴人は遅くとも右同日以降本件家屋の賃料を月一〇、一〇〇円に増額し、転貸借部分の転借賃料月八、一〇〇円と相殺する旨の意思表示を確定的にしたものとすることができる。

もつとも、右内容証明郵便では、賃料を月一〇、一〇〇円に増額するとも、転借料月八、一〇〇円と相殺するとも明確に記載されておらず、却つて転貸借は既に解除された趣旨を記載しているけれども、もとより転借人が賃貸人たる地位を併有したからといつて一方的通告で転貸借関係を解消し得るものでもなく、また控訴人からその解消を主張し得る何等の原因事実の主張立証もないので、右転貸借関係が右通告によつて消滅するものでもないが、右内容証明郵便を発する前からしばしば右転貸借関係の解除を申し入れていることは、法律的素養のない控訴人(当審における第一回控訴人本人尋問の結果によつて認め得られる。)の意図は要するに賃貸人たる地位を併有することとなつた以上、以後転借料と賃貸料とを差し引き、転借料の支払を取り止めること、したがつて転借料支払の担保の意味を持つ敷金を転貸人に差し入れたままでおく必要がないのでその返還を受けようとするもので、転貸借関係がなお存続する限りは賃貸料と転借料とを相殺する意思をも含むものと解し、以上のとおり判断するのが相当である。そうとすれば、本件家屋の二階部分六坪の間代月二、〇〇〇円の請求は階下転借料月八、一〇〇円と併せ、本件家屋全部の賃料を一〇、一〇〇円に増額する意思を含むものとするのが相当であり、控訴人は遅くとも右内容証明郵便の到達の日以後本件家屋賃料を右のとおりに増額することを通告したものというべきであり、右転貸賃料額ならびに証人石倉茂春、当審における証人田代弘の各証言によれば、右増額を相当とする事実も認められ、本件家屋について地代家賃統制令の適用のないことも前記のとおりであるから、右賃料の増額は適法であるというべきである。

四、すすんで、控訴人の被控訴人に対する賃料催告および契約解除の成否について審理するのに前記甲第二号証に原審および当審における控訴人本人尋問の結果を綜合すると、控訴人は、昭和三一年一〇月六日附七日到達の内容証明郵便を以て被控訴人に対し、昭和三〇年八月から昭和三一年九月まで月金二、〇〇〇円の割合の賃料を右到達の日から五日以内に支払うべきことを催告し、右期限を徒過すれば賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたこと、被控訴人が右期限を徒過したことがいずれも認められるが、前認定のように控訴人の賃料増額請求が昭和三〇年一一月九日になつてから効力を生じたものとすべきである以上、同日までの賃料は月金一、一〇〇円であるにとどまるので、右内容証明郵便による賃料催告は右同日までは月金一、一〇〇円を超える限度で無効であるが、その以後は前記のとおり相殺による差額月二、〇〇〇円について有効であるから、特段の事情がない限り被控訴人は、昭和三〇年八月一日から昭和三〇年一一月九日まで月金一、一〇〇円、同月一〇日以降右催告の日まで月二、〇〇〇円の賃料債務不履行の責を免れることはできず、本件家屋の賃貸借契約は、右内容証明郵便による条件附契約解除の意思表示により、昭和三一年一〇月二一日限りで解除により終了したものといわざるをえない。

ところで、被控訴人と控訴人との間の前記転貸借契約では、転借料を三ケ月支払わないときは何等の催告をしないでも当然転貸借契約が解除となる旨が特約されており、それが単なる例文でないことは前記判断のとおりであり、控訴人が昭和三〇年八月一日以降同年一〇月末日までの転借料を支払わなかつたことも控訴人の自認するところであるから、右特約に従えば、同転貸借が解除となつて控訴人においてその転借部分を被控訴人に明け渡すべき義務を負うことになる筈であることは被控訴人の主張のとおりであるが、このような特約条項は一般の債務不履行上の効果についての特例であるから、その不履行の間、債務者からその履行の方法について債権者と交渉中であつたり、反対債権の請求をしたりしていたような状況の下では直ちにその特約の効果を生じさせるべきではないものとすべきであつて本件の場合、前認定のとおり控訴人は同年八月以降自ら賃貸人たる地位に基いて反対に被控訴人に対し賃貸料の請求をし、口頭で転貸借関係と賃貸借関係の調整を交渉中であつたのであり、その後の前記賃貸料増額の通告に照せば控訴人は右交渉中も賃貸料増額の希望を示していたこともうかがわれるので、その期間を含め前記のとおり僅に特約の三ケ月間転借料の支払がなかつたからといつて、その特約の効果が発生するものとはなし難く、このことに基く被控訴人の抗弁は採用し得ない。そして、控訴人の右転借料の未払分債務については被控訴人から何等の主張もないので、ここで審理判断をする限りではない。

さらに、被控訴人は、本件家屋の造作および無形の財産的利益の買取請求或はその造作、施設等による有益費または必要費の償還請求を主張するもののようであるが、右認定のように、本件家屋の賃貸借契約が被控訴人の債務不履行によつて解除されたものであるから被控訴人は造作買取請求権を取得するに由なく、加うるに、前認定のように、被控訴人は前記転貸借契約に際し、控訴人に対し階下店舗部分の右造作および場所的利益を権利金三〇〇、〇〇〇円を対価として譲り渡したものと認められ、二階の控訴人占有部分についての右造作その他の費用関係を知るべき資料は十分でないので、被控訴人の右主張も失当とするの外はない。

五、なお、控訴人の賃料および損害金請求について審按するに、前認定の事実によれば、控訴人は、被控訴人に対し、昭和三〇年八日一日から昭和三〇年一一月九日までは月金一、一〇〇円の割合の賃料債権、ならびに同月一〇日から昭和三一年一〇月一二日までは月金一〇、一〇〇円の割合の賃料債権と月八、一〇〇円の転借料債務との差額月二、〇〇〇円の賃料債権を有することが認められ、昭和三一年一〇月一三日以降は前記賃貸借契約終了により転貸借関係も終了し、被控訴人は本件家屋の二階六坪を不法に占有することによつて少くとも右差額相当の月金二、〇〇〇円の損害を控訴人に与えていることになる。

六、しからば、控訴人の本訴請求のうち、本件家屋の二階六坪の明渡を求める部分、および昭和三〇年八月一日から昭和三〇年一一月九日までは月金一、一〇〇円の割合、同月一〇日から右明渡済に至るまでは月金二、〇〇〇円の割合の金員の支払を求める部分は、これを認容すべきであるが、その余の請求部分は理由がなく棄却すべきである。よつて、これと趣旨を異にする原判決を取り消して主文のように判決することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第九六条第八九条第九二条を適用し、仮執行の宣言はこれを附することが適当でないと認めるので右申立を却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 畔上英治 深谷真也 新谷一信)

物件目録

東京都文京区柳町一番地所在

木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建店舗一棟

建坪二七坪二階一八

のうち中央一戸家屋番号同町二五四番の二

木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建一戸店舗

建坪九坪二階六坪

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